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AirPort 【空港】
2006 / 09 / 23 ( Sat )
気がつくと9月ももう下旬。

今年も又1年は瞬きをしたかの様にあっと言う間に
私を通り過ぎて行ってる。


私は仕事柄空港に居る事が多く先月までは夏休みで日本からたくさんの
家族連れがハワイに遊びに来ていて仕事を通してだけど
そんな家族連れ皆の幸せそうな顔を見て私までハッピーな気分を
味わせてもらった。


皆がそれぞれの夏休みを過ごしてたくさんの楽しい思い出
を作り日本に帰っていく、そんな光景を見ると荒んだ事件が多発する
ご時世、まだこんなにもたくさんの【ハッピーホーム】が存在してるじゃない!
なんて胸をなでおろしたりね。

子供の輝く笑顔を見ればその子がどんなに愛されて育てられたかは一目瞭然。

そんな家族連れの溢れる笑顔が空港から少なくなった事でハワイにも
秋の訪れを感じたよ。


そして仕事をしながら日本へ向けて旅立つ飛行機を見る度に

「この飛行機、何時間かしたら日本に着くんだなぁ~」

と思いいつもその飛行機を見入ってしまう。


年に一度は里帰りしているけど、それでも日本を離れてもう10年。
やっぱり日本に対しての想いは心の底で強くなるばかり。

私が初めて空港から旅立ったのは18才、アメリカ留学の時。

他の記憶が私の中でうつろになる今日この頃、何故かこの日の事は鮮明
に覚えてるよ。

お父さんの車で成田に行き空港で時間があるからと不二家の隣にある
和食屋さんに入って父・母・私の3人で食事した。


私は当時バリバリの洋食派だったので「何故に和食?」とブーイング
したのも覚えてる、
するとお母さんが「脂っぽい物はあちらに行けばいくらでも食べれるだろうに!」って。

その時は「それでも、いいのにぃ!」なんて言ったと思う。
でも今振り返ればそれは母の私に対しての愛情だったんだよね。

その当時の成田の最後の見送り場所って言えば出国手続きの為に降りていく
エスカレーター前じゃなかった?

私もエスカレーターに乗る時がやってきてお母さん達に

「もう、行くね!」と大好きなアメリカに旅たつ事に興奮してたのか
凄く元気に大きな声で言ったのも覚えてる。

お父さんは「うん」と言っただけ。
お母さんは私がその時着てたサマーニットについた小さな糸くずを拾いながら
「身体だけには気をつけなさいよ?」と言った。

お母さんは今でも空港で別れる時私のシャツを直したりジャケットの皺
を伸ばしたりと
最初に空港で別れた時と全く同じ事をする。

それはきっと、自分の子が旅立って行く不安や自分の子がこんなに
成長したんだと言う確認の現われなんじゃないかな?って思う。

ただ変わったのは今ではそのお母さんがとても小さく見える事かな。。。

とにかく、そうして私は初めて日本を飛び立った。

当時の私は日本を離れる事に何の不安もなくこれから自分の目の前に
広がる異文化に多大なる夢と希望を抱いていたから
飛行機に乗ってもウォークマンを片手に頭の中は到着先の事しか考えてなかったと思う。

それが年々、空港での自分の変化に気づく。


「また日本を離れられる♪」


から

「日本を離れたくないなぁ・・」


って具合にね。

今ではフライトの待ち時間、自分から進んで和食屋を選ぶ様になった。

ハワイへのフライトは成田便は夜出発なので飛行機に乗った後
窓の外に広がる夜景が小さくなるまで見入ってしまう。
そう、到着先の事を考えるよりも日本を離れていくその瞬間を目に
焼き付けたいと思う自分になっていた。

こんな風に振り返ると空港には自分史があるよね?
だから空港にはロマンもあり、夢もあり、涙もある。。

私の空港での自分史、この先またどう変わっていくんだろう。
そう考えたら空港には未来も潜んでいるんだね。




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テーマ:ひとりごと - ジャンル:心と身体

06 : 56 : 51 | ひとりごとエッセイ | トラックバック(0) | コメント(8) | page top↑
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